事実婚で子どもができたら

「法律婚から事実婚へ」の後日譚。
もう性やジェンダーには当事者としてはかかわりのない年齢なので、完全に記憶や関心を無くしてしまう前にメモとして残しておく。

 

アカポスと妊活

ポスドクの間(30代前半)に子どもを産んでしまえたら素敵だと思ったけど、その間には子どもができなかった。
本格的な就職活動中と、特定有期雇用で就職してすぐの間は、妊活は中断した。

ワンオペで仕事を子育てを両立することは考えられなかったし、通勤に1時間以上かかるのも無理だと判断し、公募に出せるポストは首都圏に限られた。定職につける見込みができたら妊活を再開しようと思ったけど、見込みは生じる気配はなかった。

ので、キャリアは後回しにして、ギリギリで妊活することにしたけど、自然妊娠はなかなか厳しかった。

30代も終わるころになり、毎月生理が来るたびに、自分に残った卵子があといくつあるかと数え、いつ不妊治療に切り替えるべきかというのが最大の懸案だった。

その頃、北関東の工業系の大学で教員公募があって、応募しようとしたが、そこは書類審査の時点で胸部X線を含む健康診断書類の提出が必須だった。職場の保健センターにX線撮影に行ったけど、何か思うところがあって、撮影は行わずに帰ってきた。
勝率のない公募書類を手間をかけて作成することに飽きていたのかもしれない。

後で分かったことだが、このX線撮影に行こうとしていた特にちょうど妊娠しており、まだ着床していないタイミングだった。
そして、これが「育つ」子どもを妊娠できた最後の機会だった。

あの時、予定通りX線撮影を行っていたらどうなっていたかと思うといまでもぞっとする。

 工業大学の教員公募に、妊活中の女性が応募してくるなんていうことを誰も想定していなかったのかもしれないけど、少なくとも99%が落とされる書類審査に、X線撮影の健康診断書類は必要ないはずである。 

同じような余計なリスクを負わされる人が出ないように、一人でも仕組みづくりをしている人の目に触れたらと思ってこの雑文を書いている。

 

事実婚と出産

そんなこんなで、妊娠したのは40歳目前だったし、逆子だし胎児発育遅延とやらと診断されていたしで、そこそこハイリスクだったので予定帝王切開だった。個人的には、自分が子どもの頃から出産は怖く、自分が自然分娩するなんて考えられなかったので、それは良かった(ちなみに、この時はじめて知ったのだけど 母親が私を出産するときも和痛分娩だったようだ。完全には麻酔が効かなかったみたいだけど)。

心配だったのは、うちはこの時事実婚だったので、自分が出血多量とかで意識を失ったりしたりした時に、パートナーが手術同意ができるかということだったが、あらかじめ病院側に伝えてあったのでその点は杞憂であった。

後は、赤ん坊が自分と姓が違うと、ちゃんとした医療サービスが受けられないんじゃないかとか、取り違えられたりするんじゃないかと心配だったけれどこれも杞憂だった。考えてみたら、<u>赤ん坊には名前はまだない</u>のであって、「〇〇〇〇(母親の名前)の児」というようなリストバンドで判別されており、戸籍とかで受けられるサービスが制限されているわけではないのであった。

子どもは父親と同姓にするつもりだったので、出産後

婚姻届+出生届 → 反映して、数日後 → 離婚届

という感じで役所に届けを出してもらう。
職場(大学)には、婚姻届は一時的なものなのでということを伝えて、保険変更の手続きは保留にして、「離婚届」が出てから進めてもらうようにする。

特定有期雇用の場合(ポスドクも)は、任期が5年とか3年とかでぷつぷつ切れ、また最初の1年目は育休が取得できないなどが問題とされていた。子と戸籍は違うが、自分は育休は問題なく取得できた。専任の場合は、育休を取得した期間分、任期が延長されるなどの制度もあったようだ。

子どもは父親の扶養として保険が適用されている。区でもらえる乳幼児医療証では、子は私の名前の下についている。考えてみれば、離婚して子どもを育てていたり、それが理由で親子の姓が一致しないケースはありふれているわけで、親子の籍が異なる(世帯は一緒)からといって、職場や行政サービスから切り離されるということは特にないのであった。

 

大学の授業も役に立つ

赤ん坊は、妊娠中期まではまったく順調に成長してきたが、後期になって成長が遅くなり、「胎児発育遅延」という診断がつけられてしまい、早めに産休に入って母親向けのICUに入院するはめになった。
それは、原因やら予後やら一日中いろいろ調べまくった。

発育遅延な赤ん坊は、お腹から出てくる数日前に一気に数百グラムの成長をとげーーーもともと体格も顔も小さいうえに、それまでの角度がよろしくなかったと見えて、インターンの先生が測ってみたとたんにほぼ正常値をたたき出したーーーまぁ、ギリギリ未熟児には入るかな?という体重で元気に生まれてきた。

出生後の何度かの健診でも特に異常は指摘されなかったけど、子どもの右ももの付け根に、ときどき少し膨らむものがあった。
しばらくは気に留めなかったのだが、しばらくして・・・もしや。適応行動論で恩師が説明していた「アレ」ではないか。
生き物の体は最初からベストな配置で目的論的にデザインされているわけではないという、証拠の現象。

脊椎生物の精巣は、水中生活をしていた際はお腹の中にあったけれど、陸上生活をするようになって下垂して体外に垂れ下がるようになる。ヒトでも胎児のときに精巣が体外に下垂してくるが、その時にお腹と外をつなぐ筒状の管の中を輸精管が通らないといけない。特に未熟児などの時に、生まれたときに周囲の筋膜がうまく閉じていないと、そこから腸(女児の場合は、卵巣が出てくる場合も)がはみ出てくる鼠経ヘルニア。

診断の結果、確かに子どもは鼠経ヘルニアであった。泣いたりすると出てきたり、引っ込んだりで1歳くらいまで様子を見ましょうということになった。

そうこうして、自然治癒を期待して1歳ころまで様子を見ている間に、嵌頓(はみ出た腸がつまること)をやってしまい、救急車のお世話になった。

しかし、症状は嘔吐が中心であって痛がりはしなかったので、ヘルニアで診察に行っている大学病院に運ばれたにもかかわらず、すぐには嵌頓が起こっていることが分からなかった。ドクターのチームは、感染症を想定した処置の準備をしていたが・・・、レントゲンを撮ってみて、ヘルニア嵌頓であることが分かったのだ。小児外科の先生が、はみ出た腸をお腹に戻すことで処置をする。

その後早めに手術をしようとしたのだが、血液検査の結果、子どもは結構な貧血であることが分かり(完全母乳だとなりがちだそうだ)、鉄シロップを飲みながら貧血が改善するまで手術は延期となった。道理で、ずいぶん色白だったわけだ。その後もう一度、嵌頓を起こして救急車のお世話になった。

手術ができるようになるまでも、子どもは保育園に行っていたわけだが、その間にもしやまた嵌頓が起こったら・・・と気が気ではなかった。

まとめ

  • 大学の授業の内容の中にも、生活に非常に役立つ情報が含まれていることがある。
  • 「胎児発育遅延」と診断されても、特に問題ないこともある。自分は2週間弱MFICU(母体・胎児集中治療室)に入院していたが、特に良くも悪くもならないということで退院することになった。
  • 鼠経ヘルニアは、男児の場合1/20の出現率。定期健診で発見してもらえるとは限らない。
  • 嵌頓したからといって、激烈に痛がるとは限らないし、医師もすぐに嵌頓に気づくとは限らない。
  • 整復処置ができるのは、小児外科。
  • 健康に成長しているように見えても、完全母乳で1歳前後に貧血が生じている可能性がある。子どもがあまりに色白な場合は注意。放置すると発育に影響を及ぼすと考えられる。
  • 両側の鼠経ヘルニアの場合、手術で完治していても、成人後に乏精子症を引き起こし、自然に挙児が困難となる可能性がある。
事実婚で子どもができたら
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